ketaの日記

出歩こう、未知の体験しよう

【映画】オッペンハイマー見た

2024/4/7午後 新宿ピカデリーオッペンハイマー見た。

公開直後の日曜午後だが、入りはまばらだった。隣でやってる「変な家」とかが人気らしい。

見た感想としては、歴史の知識不足もあり、いまいち理解できてない感がいなめませんでした。これを機に第二次世界大戦あたりのことも少しずつ知っていきたいです。

 

【あらすじ】

第2次世界大戦下。アメリカでマンハッタン計画が極秘裏に立ちあげられる。参加した天才科学者J・R・オッペンハイマーは、優秀な科学者を率いて、原子爆弾の開発に成功する。しかし、投下された原子爆弾が引き起こした惨状を知った彼は、深い苦悩を抱える。

 

解説 第81回ゴールデングローブ賞で5冠に輝き、第96回アカデミー賞で13部門にノミネートされたクリストファー・ノーラン監督による伝記映画。ピューリッツァー賞受賞作の『オッペンハイマー』を基に、第2次大戦下で世界の命運を左右した天才科学者の苦悩を描く。主演はキリアン・マーフィ。共演はエミリー・ブラントマット・デイモンら。

 

映画ナタリーより

https://natalie.mu/eiga/film/192114

 

【感想】

■なぜオッペンハイマー共産党員と疑われるような動きをしてたのか。

・原爆開発者のオッペンハイマーが「ソ連に原爆のノウハウやアメリカの機密を流してたのではないか」と戦後に尋問されるシーンから始まり、時系列を戻る形で原爆開発の流れをたどる。

 

オッペンハイマーの交友関係は確かにややこしい、紛らわしい。共産党?のパーティーによく行くし、彼女も嫁も元共産党員である。なぜそんなに共産党員と近しいのかと思う。原爆開発の知見と機密を持ってソ連と仲良くされると、アメリカ政府としては怖いというのは理解できる。

社会主義の流れをざっくり調べてみた。当時は資本主義の弊害が目立ってきていて、アメリカ内でも知識人が共産党のパーティーに顔出すとか、割とあることだったらしい。社会主義の流れをざっくり調べてみた↓

 

1867 マルクス資本論」@プロイセン

「資本主義が進むとそのうち格差えらいことなって、

貧民達のクーデターが起きて国ひっくり返るで。そうなる前に社会主義で理想の国作ろうや」という思想。違ったらすまん。

1917 ロシア革命ロシア帝国はなくなり、レーニンがトップの社会主義国ソビエト連邦へ。

1919 ソ連コミンテルン結成。「世界全体で社会主義革命を起こす(世界革命)」の思想のもと、他国の社会主義革命を支援するお節介を始動。

1929 世界恐慌勃発。「世界恐慌を起こした資本主義だめでは?」の機運高まる。

⇒@イギリス 1936年、ケインズが「市場に任せただけでは失業とか発生するので、政府による適切な市場介入が必要」と主張。ケインズの主張は社会主義推進ではないよ。資本主義にちょっと修正を入れようと言うスタンス。

⇒@アメリカ 労働運動や社会改革運動が活発化し、共産党も学生・労働・公民権運動などを通じて広く影響力を持つようになった。社会主義のロシアが、資本主義国家が苦しんだ世界恐慌でダメージ軽かったのも、アメリカ国内では魅力的に見えただろうと思う。オッペンハイマーはこの辺の時代か。

 

■ノーランさんへ

オッペンハイマーは女好きだったらしく、物理学ジョークと物理学ナンパ手法を披露される。ベッドシーンも少しある。相手女性もなんか思想的なクセが強いベッドシーンだったが、セクシーなシーンなのか、笑いを誘うシーンなのか、あれはなんだったのでしょうか。

・時系列とか場面飛ぶとき分かりにくいので、もうちょっと分かりやすく作ってください。

 

第二次世界大戦のことよく知らない

・映画の最初の感想は「淡々としてる」だった。

 

⇒単純に、第二次世界大戦社会主義の歴史に疎く、全く予備知識ないまま見に行ったため、背景が何もわからない。見たもの以上に気づくこととかがない。映像的に派手なバトルがある訳でもなく、話が淡々と進む印象。これは、知識があればもっと色々繋がるところがあり、面白いのだと思う。

 

・誰がいつなぜ争って、どう決着したかがわかりづらい

⇒政治的な争いみたいな話なので、人間関係とか背景が分からないと難しい。

 

・そもそもナチスアメリカが原爆開発競走してたのも知らなかった。

 

被爆の知識と、原爆テーマの扱い方

・日焼け後に顔の皮がペリペリ取れるようなイメージで、原爆被害が一応表現される。描きたいのはオッペンハイマーといういけすかない天才の成功ストーリーなのだろうと思った。ハリウッドだし。原爆の問題提起したい映画ではない。

・配給会社がバービーと原爆のコラ画像で笑うのは、流石に配慮が無い。ヤバイと言うセンサーが働かないほど、アメリカの普通の人の間では、原爆被害の知識がないんだろう。

・日本人アラサーの自分でさえ、義務教育の内容はすっかり抜け落ち、何となくの知識しかないというのが正直なところ。オッペンハイマーでの被爆シーンの緩さを見ても、憤りはない。そういう映画なのだと思うぐらい。怒るほどの知識がないのだと思う。

 

■おわり

・世界大戦はいまに残る影響が大きいと思うので、複雑で難しいのだが、少しずつ知っていきたい。

【1日一行日記】24年3月

オードリー若林と星野源が月1で会い、お互い1日一行日記をもとにその月を振り返るような番組があるそうだ。番組自体は見てないのだけど、面白そうなので一般人の自分もやってみた。

 

1(金)スマホのネット回線切れる
2(土)スマホなしで新宿を散策、紀伊国屋へいく
3(日)松竹座で映画ナポレオン見る
4(月)仕事
5(火)仕事
6(水)知人の中国関係のブログ読みきる
7(木)仕事
8(金)仕事
9(土)初下北沢で上着買う。ノルティpdca手帳を立ち読みする。
10(日)たまたま新宿ピカデリーで再演してた映画ラストエンペラーを見る
11(月)スキャンピーに出したまま回収忘れてた書籍助かる
12(火)仕事
13(水)仕事
14(木)仕事。クライアントと終日缶詰めで頭痛起こる
15(金)スマホ復活。有給なのに仕事してネガティブ入る
16(土)千葉の歴博へいく
17(日)中国にいる知人とライン通話
18(月)仕事
19(火)仕事
20(水)コンタクト買う
21(木)仕事
22(金)名古屋出張
23(土)明治村いく
24(日)中野サンプラザプロジェクションマッピングと遭遇
25(月)仕事
26(火)仕事
27(水)仕事
28(木)仕事
29(金)仕事
30(土)仕事
31(日)高円寺で古着散策

 

前半はクレカ限度額に達してることに気づかずスマホの支払いが未払になっていてネット回線が止まった。プライベートのネットは全てスマホ(のテザリング)で賄ってたため、復帰するまでオフライン生活だった。読書が進み、オフライン状態のスマホではアウトプット(思ったことを書いたり、過去の日記やメモを見返してみる等)が増え、快適だった。気づいてはいたが、スマホは長年Amazon見る、YouTube見る、エロ動画見るのがメイン用途になっていたので納得の結果であるなぁ。

 

土日はいろいろ面白い所に行けた。
千葉の歴博、愛知の明治村は歴史の興味をしっかりかきたててくれる、いい博物館だった。
名画座なる映画館の存在を知り、実際に訪れた松竹座でナポレオンの映画みれた。ネットなし状態でふらつていた新宿で、偶然ラストエンペラーの再演に出会って見れた。自宅でスマホで映画見ると集中できないので、過去の名作を映画館を見たいと思っていたので、かなりご機嫌な月だった。

 

 

明治村訪問日記

以前より友人から「明治村はいいぞ~」と聞いており、2024.3.23(土)に愛知県の明治村に行ってきました!

明治村とは、「明治時代の建造物等を移築して公開し、また明治時代の歴史的資料を収集し社会文化の向上に寄与することを目的とする」「野外博物館・テーマパーク」(wikiより)です。ポイントは「移築」です。レプリカではなく、日本各地で現地に残しておけないような本物を解体、輸送し、明治村で再度建て直しています。すげぇ。

名古屋駅から名鉄犬山駅まで30分、犬山駅から明治村までバスで30分程度です。

・大人は入場2,000円。敷地内のランチは1,500円程度。なお敷地内及び近隣にATMはないです。クレカは使えます。

 

【感想】

■様々な建物や展示物そのもの、またその説明を見てるうちに、明治時代と言うもののイメージが、自分の中で出来てきた気がします。こういう感じ↓

・欧米の本場から専門家を招いて西洋文化を次々取り入れており、建物やファッションも和洋折衷の雰囲気がおしゃれ。

・勢い、活気がある。鉄道引いたり産業技術をどんどん導入したり、西洋風の建物バンバン建てたり。特に官庁とかオフィシャルな建物がめちゃめちゃイケてるのである。「列強に飲み込まれないために文明開化が急務である」と言う大義もあり、公金バンバン入れてガンガン新しいことを取り入れていたのかも。


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三重県県庁)


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(宇治山田の郵便宿舎。玉ねぎみたいなドーム屋根になんとなくイスラム感じる)


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西郷隆盛の弟が建てた洋館。当時は東京の目黒にあり、外国人をもてなすのに利用された。「貴族!」「ロイヤルブルー!」みたいな雰囲気。)


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(帝国ホテル。ビリヤード台かと思ったら、日露戦争後のポーツマス条約調印時に使われたテーブルだった。調印自体は米国で行われていて、事後に展示のため日本へ送られている)

 

・社会がどんどん便利に、ハイカラに、そして強くなる。ついには清やロシアと言った大国に勝利し、海外領土まで得る。当時は敗戦の記憶や反省などないし、強い国が植民地を持つのがまかり通ってる時代(そもそも日本も狙われる側)だし。偉い人も庶民もみんな、日本は上手く進んでいる、未来は明るい!と言う感じだっただろう。

 

 

明治天皇の存在感強し!

・左が天皇専用列車。桐紋と菊紋の二つの紋章が外側面に描かれてます。社内の天皇席は今で言うリムジンみたいな、豪華なソファです。また当時、天皇は行く先々に三種の神器(草薙の剣とか)を携行しており、安置するための棚が備え付けられてます。右の車両は皇后用車両です。当時は天皇が別格で、皇后と言えど同じ車両に乗れなかったらしい)

・ちなみに昭和天皇の頃も、三種の神器天皇天皇たらしめる大切なアイテムであり、日本の各地に安置していたらしい。第二次世界大戦で日本が劣勢になると「敵に奪われたら大変だ」と回収された?らしい。設定がゲームすぎる。トライフォースが敵の手に落ちるのを阻止しようとするゼルダ(とリンク)だ。f:id:squatta:20240324191158j:image


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■キラキライルミネーションのカトリック教会

またキリスト教の教会をいくつか見て「これは人気出るだろうな」と。江戸時代からの日本の建物と全く違う、なんかおしゃれなデザインの教会、くっきりと輝くステンドグラス、耳慣れないオルガンの教会音楽、イエス達の像も。。明治村の他の最先端の洋風建築ともまた雰囲気が違います。特にステンドグラスは本当に綺麗で目立っていました。「今で言う都会のイルミネーションみたいな感じで、信仰関係なく人々を魅力したのでは?」なんて思っちゃいました。とにかく明治村の他の最先端の洋風建築ともまた雰囲気が違うんですな。私がゴシック建築好きなだけかも知れないが。

当時の若い兄ちゃんは教会をデートスポットにしてたんじゃないか?なんて思ったりします。

 

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(聖ザビエル天主堂。1890年に京都河原町に建てられた。当のザビエルが日本に来たのが1549年の室町時代だが、16世紀中にはバテレン追放令など日本が反キリストに動いてる。積極的に欧米化しようとする明治時代になるまで、こうした教会は建てられなかったのだろう、多分。)

 

明治時代は社会の発展著しい一方、水や肥料(糞尿)を入れた桶を担いで運ぶような生活も全然続いてるようで(※)、そんな生活を送ってる時に、こんな教会きたら、私なら「美しすぎてなんか救われそう。てかここが天国か」ってなりそうです。

※明治時代後半に横浜から上水道インフラが出来始めるようですが、全国的に普及したのは戦後の高度経済成長期(1950年以降)らしい(?)

 

11時頃に入場して17時の閉場までいたのですが、最後はかなり駆け足になり見れてないところもあります。見たもの一点一点について、また記事にできたらと思います。

 

 

旅行先栃木での一人旅


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2024/2/22~23 栃木旅行

■概要

・東京から栃木に前乗りし、日光東照宮とワールドスクウェアに行ってきた。

・連休はめんどくさくても、遠出すると楽しいと改めて思った。

 

■詳細

22日(一日目)

・四連休初日。午後から外出。行き先は決まっておらず、出掛けてから比較的近距離の栃木に旅行先を決めた。

・とはいえ宇都宮線乗るまではめちゃ気が重い。新宿で何度帰ろうと思ったことか。「めんどくさい、面白くないかもしれない、金もかかる・・・」

・とはいえ、四連休に旅行しないともう旅行はしない人生である。「(22年から東京に住んでるが)今はたまたま東京に滞在してるだけ。そのうち離れるから今のうちに東京ハブにまわれるところ観光しよう!」と自分を奮い立たせ、電車に乗る。

・18時ごろに宇都宮に到着。電車賃は2,000円程度、安い。

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宇都宮駅で出迎えるイチゴ)

 

宇都宮駅ビル内で口コミがよかった餃子屋「青源」で晩御飯。焼き餃子&ネギ味噌餃子定食。うまい。名古屋とかもそうだけど、ご当地飯が分かりやすくてひとりでも入りやすいと言うのは大変助かりますな~。


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・目にはいった八重洲ブックセンターでちょっとだけブラつく。栃木推しが多い。他府県ではこれほど自県特化のコーナーは少ない気がする。地元愛が強い土地柄なのかな。

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・ホテル(UNIZO INNエクスプレス宇都宮)へ。コミュ障だと夜これ以上やることない。結局ホテルでU字工事のドッキリyoutubeみて、栃木をなんとなく楽しむ。

 

23日(二日目)

・日光までの電車がない!最初の目的地は日光東照宮。宇都宮から日光への電車は、乗り継ぎ便まで15分待ち、もしくは直通便まで50分待ちだった。本数すくねぇ。数分間隔が当たり前の東京のノリで考えていた。宇都宮で50分待つのも退屈なので、とりあえず乗り継ぎ便に乗る。

・乗り継ぎのため鹿沼駅で待つ。この休みは全国的に気温が低く、鹿沼も気温一度である。鹿沼に待合室はない。


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(気温一度の鹿沼。寒い)


・今んとこ特に良いことはないけど、なんか楽しい。数日間フラフラ旅するの、楽しめるかも知れない。ふと、日常がつまらなくて、旅行や海外に期待する自分が、ありふれすぎててなんか滑稽に思えた。旅にうかれる自分を滑稽に思ったのは、「どこそこ行った」と自慢げに話す人たちを、これまでなんとなく見下してたからだろう。自慢げと言うのも私のひねくれた捉え方でしかなくて、彼らもただ生活を楽しもうとしているだけかもしれない。

 

日光東照宮


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(見上げる陽明門。迫力がある)


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(見ざる聞かざる言わざるの三猿だけでなく、猿の一生を数面の絵で描いてるそうな)

・言わずと知れた徳川家康をまつる神社である。
・荘厳な雰囲気。雪でめちゃくちゃ寒かったが、神秘的な絵になってよかった。観光客もみんなわきまえてる雰囲気で、礼儀ただしい。
・豪奢である。特に陽明門が凄い。白と黒を基調にふんだんに金があしらわれている。門の装飾は何百体という人形や、龍、麒麟などの緻密な集合だった。めちゃくちゃ手間と金がかかっているはず。どこかで「信長統一以後の城は戦うための城ではなく見せびらかすための城」と聞いたことがある。平和な世の中で、権威付けのために豪勢になっていったのか。

・現在の保存状態もよく綺麗である。保全が行き届いてるのだろう。一センチ塗り直す絵の具に数万円かかるるしい。ちゃんと聞き取れなかったが、修繕に2,000億とか言ってたような気がする。えぐ。
・500円の音声ガイド借りにいったら、よほど人気ないのか音声ガイド希望と思われず、係員のおじいさんの反応が鈍かった。借りたい意図が伝わってからは懇切丁寧に教えてくれたので、本気で要件がわからなかったのだろう。マップのみたい箇所をペンで抑えると数分の短い音声ガイドが始まるというもので、実際の陽明門や三猿を見ながら、その歴史やエピソードが聞ける。絶対あった方が面白い。みんな借りたらいいのに。


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(音声ガイド。おすすめ)

 

【ワールドスクウェア
・世界の建造物のミニチュアが展示されている屋外施設。子供向けな雰囲気もあるが、旅行や歴史が好きな大人が行っても楽しめると思う。

ミラノ大聖堂が美しい。一番印象的だった。純白の建物で、劇的な感じ。無数の彫刻があしらわれている。尖った無数の塔の先端がすべて彫刻。ダヴィンチコードとか、天使と悪魔って感じ(語彙力)。


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ミラノ大聖堂


※建築様式うんちく。世界史の教科書だと建築様式なんて興味湧かなかったが、実際に(レプリカを)見るとミラノ大聖堂があまりに見ごたえあったので調べてみた↓ゴシック様式

ミラノ大聖堂はこのゴシック様式である。内部的な高さと細さの誇張、尖塔アーチが目立つ特徴。
・美しい装飾はそれ自体が神への奉仕と考えられていた。
・ゴシックと言うのはゴート風のと言う意味で、ルネサンス以前の芸術を指して蔑称として言われ出したそう。
ルネサンス様式…キリスト教の息苦しさに反発的に、古代ギリシャ・ローマ風の建築文化をイスラムから逆輸入。垂直を押しだしたゴシックと反対に水平を強調。


・なおミラノ大聖堂14~19世紀まで建築らしい。長い。サグラダ・ファミリアより長いやん。誰が建ててるんだろう。お金は誰が出してるんだろう。建設会社が延々と完成しない建物のために人を資材を出し続けれないよな。国とか保全団体とかが税金や寄付金とかで賄ってるんだろうか。

・なお、引き合いに出したサグラダ・ファミリアももちろん展示。2026年に完成するらしい!

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サグラダ・ファミリア。生誕の門と受難の門があり、こちらは生誕の門。裏側はキリストが釣られてるデザインの受難の門)

 

バチカンサン・ピエトロ大聖堂もよかった。ヨーロッパゾーンど真ん中に位置し、ガイドさんの説明も力が入っていた。東武ワールドスクウェアの気合いを感じる円形の敷地に凄い体数の人形。東武ワールドスクウェアの気合いを感じる。

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「しゃがんで目線を下げると、現地に来たような写真が撮れます」との説明があり、撮ってみた。一体一体は明らかに作り物の人形だが、写真をパッと見ると確かに本物っぽく見える。こんな規模で人形と模型作ってると思わないもんね。
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東武ワールドスクウェアでガイドを聞く聴衆を引きで見ると、ベルサイユ宮殿に迫る巨人に見えてひとりでニヤニヤしていた。
※ベルサイユ宮殿はバロック様式…曲線・楕円などのデザインを多く用いた、動的で華麗な装飾性


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(立体起動装置と相性よさそうなベルサイユ宮殿と、群がる巨人たち)

 

【帰り】

この後アジアンゾーンもあったのだが、スマホ電池がピンチに陥り写真がない。
ワールドスクウェアを出たのち、下今市駅スマホ電池が切れて、北千住までの特急で帰ってきた。四連休はまだ折り返しなので「さらに遠方に足を伸ばしてもよかったか?」と若干後悔するも、ほっと安堵も覚える。一人旅は慣れていない。
北千住から新宿に向かう地下鉄に乗ると、もう車内の広告が「転職、生産性、マーケティング…」となり嫌になってきた。死にてーという気持ちになる。旅行中はつまらない瞬間はあれど、死にてーとふと思うような瞬間はなかった。何もない普通の景色も、旅行マインドが乗ってくると楽しめるものであった。目新しく新鮮で、死にてー等と思ってる暇がない。

 

家帰ってYouTube見てても気づく。生産性とか転職、キャリア、勝ち負け、メンタル、そんなものばかり出てくる。そりゃ嫌になる。YouTubeも地下鉄も、死にてーの元だ。

オフライン、遠出、未知の体験。こういうものが自分の人生には必要だと改めて感じた。

めんどくさくても、連休は旅に出たい。

歴史博物館訪問記:縄文時代から戦後への旅 #歴史 #日本史


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(入り口でお出迎え。何とかレンジャーみたい)


【休日おもろいこと探し及びアウトプット運動2024①】

 

【感想】

2024年3月16日 千葉県佐倉市 国立歴史民族博物館を訪問しました。

 

新宿〜船橋の電車1時間、船橋京成佐倉~博物館(電車+歩き)1時間の計二時間程度で到着します。余裕の日帰りで行けちゃいます。

 

13時に博物館に入り、展示物を見ながら回ってたら、結局17時の閉館まで滞在してました。日本の歴史を縄文から戦後まで、様々な図表や資料、再現模型等を用いて一気通貫で展示しています。

私の日本史知識は中学生レベルなので当時のモノを淡々と展示されると何も引っ掛からず「ふーん…」となってしまう恐れありなのですが、歴博は「年代順に展示が進むこと」「現物展示だけでなく、年表や地図、グラフ等の歴史の説明が多いこと」から歴史の流れを追いやすく、面白かったです。

 

1先史時代~6戦争と平和(大戦~戦後)まで部が分かれており、ひとつの部で各一時間ぐらいかかりました。なお5の近代は訪問時点では改装中につきお休みでした。明治維新とかその辺と思われ面白そうなので、また来たいですね。

 

「16世紀の京都を描いた洛中洛外図屏風とあるが、何故その時期の京都なんだろう?」「江戸幕府はなぜ鎖国したんだろう?」、新たな疑問も湧いてきました。また調べたい。

 

【詳細】

1 先史時代

縄文時代
 ・当時の人々の生活を再現した等身大?模型があった。女の子の顔がかわいい、堀が深く欧米っぽい。縄文人は丸顔で堀が深く、筋肉質で手足が長かったそう。これを見るとコーカソイドとかそっちぽい特徴に見える。本当にこんな顔だったのだろうか?


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(幼女と幼女を見守るおじさんと幼女を撮るおじさん(私))


 ・食材のイメージ展示、デカイ魚が旨そうである。パンみたいなものがある、この頃に日本に小麦はないような。何の生地なんだろう?

 ・縄文土器は思ったより複雑で怪し気なデザインだった。呪術的というか。ゼルダの伝説トワプリミドナが被ってる謎の物体みたい。
 ・と思っていると「縄文時代は本格的に定住化が進んだことで人口密度が上がり、揉めごとがふえ、解決のために呪術が栄えた」旨の説明書きが。なるほど、縄文土器はきっと呪術にも使われていたのだ。祈祷師みたいな人が短冊みたいな棒を振り回す時に、縄文土器も横に置いてあったのだろう。知らんけど。

 

弥生時代 BC10C~AC3C

・BC9C頃までは武器は発掘されてないそう。比較的平和な世界だったのだろうか。なおBC9Cから見つかる武器も鎧も木製+石器である。室伏広治とか吉田沙保里ならまだ生身で勝てるのではないか。

・BC4Cには鉄を求めて日本人が朝鮮に渡ってる説があるそう。弥生土器が朝鮮の鉄器関係の土地で出土している。当時の船はどんな船なんだろうね?

ちなみに鉄の使用を始めた中央アジア?のヒッタイトはBC2000年頃とか、もっとずっと古くから鉄を使用していたらしいので、BC4Cに朝鮮で鉄が使われてても不思議はない。


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弥生時代初期の戦闘は石器+木材?)

 

3-5c 古墳、王の時代

前方後円墳とかその辺。あまり興味が出ない。Qちゃんの画像でも貼っとくか。ひみこさまー!

・この辺で気づく。あまり丁寧に見て回ると興味がある中世以降に時間と体力が残らない…!そのためこのあたりはショートカット気味に回った。

 

7C 古代国家

・中国では唐が栄え、周辺国との交流が増える。日本にも高句麗百済を通じて律令制などの文化が持ち込まれ、道路や役所の整備はじまる。

 (高句麗百済律令制とは?)


・8Cには大宰府、秋田のじょうさくまで古代国家がのびている?広い。そんな広域を支配できたのか?平安京
正倉院文章?で税収を管理するための戸籍や、各種帳簿がある。文官が文章を書いてるイメージ展示の内容は、「待遇改善要求」であった。今も昔も変わらない。少なくとも文書で上申出来る体制だったのだろう、文句⇒ 即排除みたいなガチモンのブラック企業より働きやすそうだ。

平安京はいまの京都御所の二キロ西にあったそーな。


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(やっぱりこう言うのは匿名で書いてたんだろうか)

 

2 中世 10-16c
・漢字から派生した各時代のカタカナのリストが展示されている。結構現在とおなじ形のがある。いまは英語がカタカナで書かれるからカタカナの方が新規な感じがするが、実際は平仮名よりカタカナが先輩。1000年もつかわれている。

 

鎌倉時代
・九州から尼崎までの航路の横に船の模型があった。木製の屋形船みたいなやつで、本気の交通手段とするにはしょぼく見える。観光でご飯食べに乗るなら風流でいいが、本気で海に出られるとあんまり乗りたくない。
・武士の家の展示も、藁葺き?の屋敷の周りに庭と木製の柵しかなく、なんか弱そうである。すぐに攻め込まれそう。石垣は14Cの沖縄グスクが最初の導入とのことで、鎌倉時代にはまだなかったのかな?土壁とかも。

・鎌倉の当時の地図があった。鶴岡八幡宮の右隣に幕府がちゃんとあったらしい。現代の鎌倉はアホほど混むしなんかキャピキャピ感が強くて陰キャのワイは辟易したのだが、過去はちゃんと幕府があったことが分かり安心した。

 

洛中洛外図屏風
・16C京都の嵐山~上京~下京~比叡山までを屏風にかいたもの。
・このへんの歴史がわかっておらず、鎌倉時代って鎌倉じゃないの?なぜ京都?となっていた。
⇒1336京都の室町幕府となっている。鎌倉幕府は何故潰えた?

 

※室町の足利義光のころ、明の永楽帝日本国王に報ぜられ、日明貿易朝貢?)をしている。各国の朝貢回数が地図上に図示されていたのだがこれが興味深い。琉球171回が朝鮮も抜いてぶっちぎりの一位の朝貢数だ。一方で朝鮮30回と予想より少ない。朝鮮は明大好きな優良朝貢国のイメージだったので意外である。ちなみに日本も19回朝貢していた。日本は中国から見ると「朝貢もせずけしからん国だ」と思われてるイメージだったので、19回も朝貢行ってたのも意外。

 

 

・1467応仁の乱 家督争い、政権争いなどが拡大。戦場となった京都は荒廃し、室町幕府の権力が低下、戦国時代へ。

 

15-16Cは世界はポルトガル・スペインの大航海時代。1494年には「世界のここからこっちは俺(スペイン)、ここからこっちはお前(ポルトガル)のものな」というジャイアニズム満点のふざけた条約まで結ばれている。

日本では戦国時代にあたり鉄砲などを輸入。広く普及したのは信長の統一後らしい。

戦国時代の甲冑が展示されている。甲冑は当時の主要武器を反映しており、鉄砲がある戦国時代では重厚な鉄板仕立てである(弥生時代は武器がしょぼいので鎧も木片だった)。


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(戦国時代の甲冑。重そうだが銃弾が飛んでくるから仕方ない)


※スペイン・ポルトガル教皇から布教のお墨付きを得て植民地の拡大を進めていた。
※豊臣は体外は強硬(朝鮮遠征)、徳川は友好の方針だったそう。戦国時代の終わりから20年もすると、遠征で荒らした朝鮮との国交も回復していた。江戸幕府は当初朱印船貿易を行ってた。朱印船はさっき観た日本鎌倉時代の船とレベチ。大型でどっしりと安心感がある。長距離航海も耐えそう。

江戸幕府は友好的方針とか朱印船貿易とか、あれ、鎖国は?
⇒途中から鎖国に切り替えたのだろうか。調べると複数説あるみたいだが、キリスト教は平等を説き、幕府の身分制の脅威になる恐れ、というのはそれっぽい。貿易コントロール?活発化してた外国からのアプローチから国を守るためとも。外国との付き合いが深まるにつれ、これらの懸念が高まったのであろうか。

※スペインポルトガルは何故アジアはすぐ征服しなかった?アフリカやアメリカはバンバン植民地化されてたのに、何故日本はまぬかれた?武力?ペリーがきたが、結局直接攻められてない・・?

⇒聞くところによると、19世紀に産業革命を経たイギリスが圧倒的パワーで暴れ回るまでは、ヨーロッパは結構田舎者の時代遅れみたいなも様子だったらしい。11世紀以降ヨーロッパからアラビアに派遣された十字軍も、イスラム側からは「なんかきたねぇ田舎者が来たぞ」みたいな反応があったとかなんとか。オスマンイスラム各国、アジア諸国はヨーロッパから見てそう容易く侵略出来るパワーバランスではなかった。
※てか西欧の植民地政策やばくね?どこが主権国家体制じゃい。他国に干渉しまくりのジャイアンやろ。


第三 近世
江戸幕府
・200年、国内外での戦争なかった。
・幕府はキリスト教を禁じ、貿易を統制した。
 
国交(鎖国と言っても国交あったと強調されてた)
朝鮮通信使 江戸庶民にとっても騒げるおたのしみイベントであった。朝鮮通信使を見に神田川?に小船を出す庶民の絵が残っている。
琉球を 1609年に薩摩藩が制服。外国情報とりのために中国朝貢をしているのは幕府は黙認。

・江戸はやはり歌舞伎や軽業など文化の展示が多い。軽技とか俄に信じられない。
自由貿易の外国からの圧力から本居宣長平田篤胤神道天皇ガチ勢が生まれてたみたい。ピキってる印象。

 

第四 民俗 猟とか農業とか痩身願望とか牛頭?祭りとか河童とか。あまり興味がない。それよりも歩き疲れた。ボリューミーすぎる。

 

第五 近代 改装中。見たかった。

 

第六 戦争と平和

明治になり、軍備の担い手は身分制度の武士から国民皆兵の兵士へとかわった。徴兵制は義務であり苦役だが、誇りとするような社会的な雰囲気が造られていった。

 

内務藩という部屋に20人ぐらい(分隊)で生活していた。完全武装姿の展示がある。これって布の下に防弾とかあるのだろうか。撃たれたら終わり?


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(完全武装日本兵。勇ましい)

 

38式歩兵銃の展示は持ち上げることができた。四キロ弱、意外と軽い。

 

大まかな歴史の流れ
1894日清 旅順
1904 日露
1910韓国併合
1919ごしじけん(反日、21ヶ条反動)
1929世界恐慌
⇒1931満州事変
⇒1937日中戦争
 ※多民族をも支配するのが帝国なら、戦前日本はまさに帝国であったとのこと。日本帝国は植民地とした地域へ人を送り移住が進んでいた。正直最近まで日本帝国のことをよく理解してなかった。日露戦争後ぐらいからは、しっかり侵略者だった。


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(帝国ってどこかと思えば日本のことであった)

 


 ※歴博の場所にかつてあった千葉の佐倉連隊も、この頃は満州を警備してた。
 ※南京事件。かなり保守的であろう国立の博物館でさえ、南京事件があった事実は否定しない。かなり酷かったのだろうと思う。
 ※中国の抵抗激しく泥沼化、長期化。米英との対立悪化。燃料輸入が泊まり、南方の資源地帯への進出へ進む。
1941奇襲により、アジア太平洋戦争勃発
1942ミッドウェー以降は敗戦続く
1944レイテ@フィリピン アメリカと戦闘。壮絶な映像を見ることができる。雨のような艦砲射撃。これは助からん。印象に残った。

 

1945沖縄戦

・フィリピンレイテ戦と同様映像があり、これまた凄まじい艦砲射撃を受けていた。雨のような砲撃により地形が変わったとの説明書きも。
・民間人の犠牲が目立つ。米軍に投降を呼び掛けられ、民間人が集団自決した。日本軍指示で疎開した先の山奥がマラリア地帯で、3000人が熱病により亡くなった。

1945.8原爆投下。
・原爆投下前後の上空写真がある。建物がなにもなくなっている。建物では防げない(長崎は山が遮蔽になり、広島よりは被害が少なかったそう)。逃げ場などないことがわかる。長崎広島あわせて20万人超が亡くなった。
浦上駅ホームの母子の遺体の写真。子供は本当に赤ちゃんである。最初は怪我で倒れているだけかと思ったが、遺体だった。白黒で見えずらいが、顔面の形状がつるんとしていた。大変な火傷の跡と思われる。見ていて辛い。


1950朝鮮戦争
・日本は再軍備

1954.第五福竜丸事件

ゴジラ上演 10年前の空襲と原水爆への恐怖をゴジラとして体現

1955.原水爆禁止大会@広島

1972沖縄本土復帰 戦後もアメリカ占領が続き、72年の返還であった。知らなかった。

 

戦後
・食糧難、配給不足⇒収入を得るための闇市が栄える