ketaの日記

出歩こう、未知の体験しよう

明治村訪問日記

以前より友人から「明治村はいいぞ~」と聞いており、2024.3.23(土)に愛知県の明治村に行ってきました!

明治村とは、「明治時代の建造物等を移築して公開し、また明治時代の歴史的資料を収集し社会文化の向上に寄与することを目的とする」「野外博物館・テーマパーク」(wikiより)です。ポイントは「移築」です。レプリカではなく、日本各地で現地に残しておけないような本物を解体、輸送し、明治村で再度建て直しています。すげぇ。

名古屋駅から名鉄犬山駅まで30分、犬山駅から明治村までバスで30分程度です。

・大人は入場2,000円。敷地内のランチは1,500円程度。なお敷地内及び近隣にATMはないです。クレカは使えます。

 

【感想】

■様々な建物や展示物そのもの、またその説明を見てるうちに、明治時代と言うもののイメージが、自分の中で出来てきた気がします。こういう感じ↓

・欧米の本場から専門家を招いて西洋文化を次々取り入れており、建物やファッションも和洋折衷の雰囲気がおしゃれ。

・勢い、活気がある。鉄道引いたり産業技術をどんどん導入したり、西洋風の建物バンバン建てたり。特に官庁とかオフィシャルな建物がめちゃめちゃイケてるのである。「列強に飲み込まれないために文明開化が急務である」と言う大義もあり、公金バンバン入れてガンガン新しいことを取り入れていたのかも。


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三重県県庁)


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(宇治山田の郵便宿舎。玉ねぎみたいなドーム屋根になんとなくイスラム感じる)


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西郷隆盛の弟が建てた洋館。当時は東京の目黒にあり、外国人をもてなすのに利用された。「貴族!」「ロイヤルブルー!」みたいな雰囲気。)


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(帝国ホテル。ビリヤード台かと思ったら、日露戦争後のポーツマス条約調印時に使われたテーブルだった。調印自体は米国で行われていて、事後に展示のため日本へ送られている)

 

・社会がどんどん便利に、ハイカラに、そして強くなる。ついには清やロシアと言った大国に勝利し、海外領土まで得る。当時は敗戦の記憶や反省などないし、強い国が植民地を持つのがまかり通ってる時代(そもそも日本も狙われる側)だし。偉い人も庶民もみんな、日本は上手く進んでいる、未来は明るい!と言う感じだっただろう。

 

 

明治天皇の存在感強し!

・左が天皇専用列車。桐紋と菊紋の二つの紋章が外側面に描かれてます。社内の天皇席は今で言うリムジンみたいな、豪華なソファです。また当時、天皇は行く先々に三種の神器(草薙の剣とか)を携行しており、安置するための棚が備え付けられてます。右の車両は皇后用車両です。当時は天皇が別格で、皇后と言えど同じ車両に乗れなかったらしい)

・ちなみに昭和天皇の頃も、三種の神器天皇天皇たらしめる大切なアイテムであり、日本の各地に安置していたらしい。第二次世界大戦で日本が劣勢になると「敵に奪われたら大変だ」と回収された?らしい。設定がゲームすぎる。トライフォースが敵の手に落ちるのを阻止しようとするゼルダ(とリンク)だ。f:id:squatta:20240324191158j:image


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■キラキライルミネーションのカトリック教会

またキリスト教の教会をいくつか見て「これは人気出るだろうな」と。江戸時代からの日本の建物と全く違う、なんかおしゃれなデザインの教会、くっきりと輝くステンドグラス、耳慣れないオルガンの教会音楽、イエス達の像も。。明治村の他の最先端の洋風建築ともまた雰囲気が違います。特にステンドグラスは本当に綺麗で目立っていました。「今で言う都会のイルミネーションみたいな感じで、信仰関係なく人々を魅力したのでは?」なんて思っちゃいました。とにかく明治村の他の最先端の洋風建築ともまた雰囲気が違うんですな。私がゴシック建築好きなだけかも知れないが。

当時の若い兄ちゃんは教会をデートスポットにしてたんじゃないか?なんて思ったりします。

 

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(聖ザビエル天主堂。1890年に京都河原町に建てられた。当のザビエルが日本に来たのが1549年の室町時代だが、16世紀中にはバテレン追放令など日本が反キリストに動いてる。積極的に欧米化しようとする明治時代になるまで、こうした教会は建てられなかったのだろう、多分。)

 

明治時代は社会の発展著しい一方、水や肥料(糞尿)を入れた桶を担いで運ぶような生活も全然続いてるようで(※)、そんな生活を送ってる時に、こんな教会きたら、私なら「美しすぎてなんか救われそう。てかここが天国か」ってなりそうです。

※明治時代後半に横浜から上水道インフラが出来始めるようですが、全国的に普及したのは戦後の高度経済成長期(1950年以降)らしい(?)

 

11時頃に入場して17時の閉場までいたのですが、最後はかなり駆け足になり見れてないところもあります。見たもの一点一点について、また記事にできたらと思います。